学校嫌いの息子が高校を卒業した日
美容師のママ友が「髪の毛のセットする人たちが増え始める時期なのよ」という、6月。
はい、卒業式の季節です。
ニューヨークもご多分に漏れず、5月から卒業式が始まっているので、なんとなく全体的にわちゃわちゃし始めている感じがする。
学校が嫌いだった息子は「卒業式にはでない」と言い張っていたけれど、別れた旦那と義理の妹がどうしても参加したいと言ったので、急遽参加することにした。
それも卒業式の3日前。
ありえんよね、日本なら。
幼稚園選び(小学校とくっついているので)、中学、高校とマジ大変だったので、大学選びは一切タッチしなかったオカンですが、息子は無事地元の大学、それも徒歩30分で行けるところに通っております。
高校卒業してママ友と一緒にやったこと

いや〜、頑張ったよ、オレ、まじで。
一人でよくやったよ! 自分を褒めまくりですよ、あなた。
まさに、祭りだ、祭りだ、わっしょい、わっしょいって感じでした。
息子が高校卒業して。
浮かれついでに、同じ年の子どもがいる仲良し幼なじみママ友と「頑張ったよね、あたしたち飲み会」をやりましたよ、義務教育無事終了記念に(高校まで義務教育なんですわ)。
とにかく飲んだ、飲んだ、4人なのに、日本酒2本開けて、ワインも数本開けて……あと何飲んだのか覚えていないくらい。
飲んで、食べて、そして喋りまくり。
もちろんお泊り。子ども抜きでね。
子どもが小さいときは、シングルマザーだから大人一人で泊まることができなかったけれど、一人でお泊りできるこのフリーダムな感じに感動しておりましたね。
ちょっと高校卒業までの子育てを振り返ってみる
振り返ってみれば、ハーレムで、シングルマザーでよくやったなーと思います。
旦那と別れよう! と決めたからいえを追い出したあとは、息子のメンタルを機にしながらも「ちゃんとした子」に育てないと息子の未来はない! と鬼の形相でしたもんね。
と書きつつ、そもそも「ちゃんとした子」の定義ってなんなのかって話なんですけれどね。
ニューヨークの学校というのは学区や学校によって本当に学力の差が激しくて、日本のような「均等さ」がないから、入った学校で息子の未来が決まってしまうと怯えていたオカン。
なので幼稚園から高校までつながっているギフテッド&タレンティッドの学校に運よく入れたので「よしよし、これで息子の人生は安泰じゃ」と思ったもの束の間で、入学して3週間で転校しました。
合わなかったんですわ、息子に。
まさかの初日に「お母さん、ここはぼくの学校じゃないよ」と入口で言われたんですよ。はい。
そのあと、転校した小学校には幼なじみ兄妹が通っていたし、本当に先生や他のファミリーに恵まれてとてもいい学校生活を送りました。
なので先日、友達の娘ちゃんの小学校の卒業式があるからお邪魔してきたら、なんと! お世話になった先生たちがまだ残っていて、息子と感動の再会をしたのでした。7年ぶりくらい???
とくに4/5年生のときの副担任の先生には本当にお世話になったので、またあえて嬉しかったです。
反抗期の頃だったから、メールしたり、授業が始まる前に教室で相談ごとしたり。
この頃のオカンのメンタル病んでいたから、彼女のサポートはありがたかったですね。
そしてアメリカで子育てされた先輩日本人ママが口を揃えていうのが
「小学時代にあったママたちとは苦しい時代を一緒に乗り越えてきた一体感があるから、いつまでも仲良しだよ」
ということ。
もちろんそうじゃない人たちもいるとは思うけれど、振り返ってみると、ハーレムに住んでいる日本人お母さんに会えて、そこから世界が広がって今に繋がっていることは否めないですね。
小学校に問題を起こして「精神科医に診てもらって問題がないと言われるまで登校できない」と言われたこともあった。
中学に行けばやはり問題があって、教育委員会のオフィスまで行って強引に転校させて、ストレスで白髪を増やして選んだ高校はパンデミックの影響で貴重な1年目はフルリモート。
ただでさえ新しい環境に慣れるのに人の倍以上かかる息子なのに、ああ、これはもう積んだ、と思った。
あなたの息子は繊細だから、小さな学校が合っているから、そういうところを選びなさい。
って、小学生時代の先生からアドバイスを受けていたのに、なぜか高校はマンモス校になっていて。
案の定友達がいないのか、部活も気になるところがないのか、常に幼なじみと遊んでいて、学校が好きじゃないから遅刻や休みも増えて、何度カウンセラーと電話で話し合ったことか。
おかしいなあ、高校生になったら学校のこと、心配しなくてもいいと思ったのに。
小中と転校させてきたから、高校はもうやらないよ。

「キミが今の学校というシステムに合わないはわかっている。でも仕方ないんだよ、残念ながら。ホームスクールはできないからね。だから、高校だけは卒業して。サボっていいからギリギリで卒業はして」
と最終学年前に伝えたら、本当に計算してギリギリで卒業したのでした。
最終学年(4年生。シニアという)のとき、30%くらいしか学校に行ってなかったと思う。
「あのね、シニアのときは学校ほとんど行かなかったけれど、3年間(アメリカの高校は4年ある)で取れる単位取っていたからね」とのことだった。
なんだよ、最初っから計算していたのか、息子め!
それでも卒業式1週間前にカウンセラーから「単位が足りないから卒業できないかも」と言われて「どないなっとんねん!?!?」と、つい金切り声をあげてしまったオカンです。
計算ミスかっ?!
息子がどれだけ学校が嫌いだったのかというと……

- プロムに参加していない
- スクールトリップ(遠足や旅行)にも参加していない
とくにプロムなんてアメリカに住んでいるからには青春の1ページ、参加せな!
なんだけれど「無駄なお金だ」と言い切って不参加。
なんなら卒業式にも参加しない勢いだったけれど、さすがにお父さんと叔母(義理の妹)が行きたい! ということで、卒業式4日前に参加を決めたというドタバタさ。
単位問題も卒業式の5日前に無事解決して、卒業できることになっていたんですよね。
最後の最後まで、この綱渡り感、なんなんですかね、本当に。
そして卒業式も成績の良い子どもたちの授与式から始まって、一般生徒に移り、なんと息子は最後から3番目!
そうか、そんなにも成績が悪かったのか……まあいいか……と、成績順なのかと思っていたら、卒業式のお金を払った順だったようです。息子の後ろに2人もいた。あはははははははー。
まったくやる気なさ満杯の高校生活最後の日でしたな!
小学校の温かい、名残惜しさとは正反対!
ということで高校までは義務教育でしたが、大学生活、どうぞ楽しんで。
好きに生きていってくれよ、という感じです。
大学に関していえば、本人もどこへ行ったらいいのかわかっていなかったようだし、オカンもアメリカの大学なんてどこをどう選んだらいいのかさっぱりわからないので、高校の大学選びサポートしてくれるカウンセラーに丸投げしておりました。
大学の下見見学もいっさいしなかったし。
「だって、相談したってお母さん、何もわからないでしょ?」
と、大学生になった息子に言われちゃいましたよ。
はい、まさにその通り!
子どもは親の思う通りにゃ育たないのは当たり前?

息子が大学生になったからではないけれど、親が描いていた未来とずいぶんと乖離してしまったな、というのが本音。
ハーレムという街に住むと決めてから、ストリート・キッズにはなって欲しくない、教育しか身を守るものはない、いい学校に入れていい教育を受けさせないとと「息子の人生に未来はない」と勝手な思い込みで自分を追い込んで、息子をコントロールしようとしていた日々。
MIT(マサチューセッツ工科大)にフルスカラシップ(奨学金)で入って欲しい! というとんでもない野望をもち、わざわざボストンまで行ったこともありました。
でもね、どんなにコントロールしたって相手は意思のある人間。
親の思い通りなんてなりゃしませんがな。
自分を振り返ってみてもそうじゃないですか。
それよりも子どもを選んだ道を心から応援していく、サポートしていくことがどれだけ重要なのか、を学んだ義務教育期間でした。
簡単じゃなかったけれど。
とはいえ、まだ年齢が低い場合はある程度は親が導いていかなきゃいけないから、その塩梅が難しいところですよね。
ただね、子育てをしている間は「いろいろなことがある」のが当たり前だ。
と心構えしていたら、少しは気が楽になるのではないのかな、と思った次第です。
当時のあたしは「いろいろなことがあるのが当たり前」と言われても「いや、そんな考え方我が家にはいらんし」と突っぱねていたし。
とにかく、正解を探して、その通りにやって、それでもうまくいかない場合は自分を責めていた。
なので、本当に正解探しをして自分を責めていた、あの頃の自分に、よくやったよ、おめでとう! と何度も言いたい。
さあ、今夜も飲むぜよ!
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